タニザワ

「高所作業用の親網」開発物語

2008.07.02

谷沢製作所はこれまで、働く現場のニーズに応えて、数々の安全用品を開発して参りました。現在は作業現場になくてはならぬものとして、ごくごく一般的に使われている道具や用品にも、初めて世に出た時には、小さな物語があるものが少なくありません。

以下はそういったもののひとつ、超高層ビルが続々と誕生した頃に、時代の要請により生まれた高所作業用親綱の開発物語です。

昭和42年(1967年)、霞ヶ関ビルに次ぐ日本で2番目の超高層ビルとして、東京浜松町に世界貿易センタービルの建設工事がスタートしました。
その頃、建築現場では既に保護帽は全員が被るようになっておりましたが、安全帯は墜落事故防止に有効な安全用品として、普及が進んでいた時期にあたります。
当時の安全帯には、現在のように単管パイプに掛けられるような開口部50ミリの大径フックではなく、開口部10ミリほどの小径フックが用いられていました。引掛ける対象をくるりと巻いて自分のロープにフックを掛ける「回し掛け」という使い方をしていました。
また安全帯を掛ける先は、主に鉄骨を仮組みする際に張っていた、捩れ止めのワイヤーでした。それでは最上部で鉄骨を仮組みし、ワイヤーを張る際にはどうするか−それこそがベテラン鳶職に任せられた、神業的な職人仕事でありました。
世界貿易センタービルは完成時には152メートルと、当時、東洋一の高さを計画しておりました。建て方が上がるにつれ、さしもの鳶さんも東京湾から吹きつける風で危険が増して来ました。 その時、この現場に安全用品を納入していた当社の若手営業マンKが、施工会社の安全責任者から、鉄骨仮組みの際に安全帯を掛けられるロープの製作を依頼されました。

写真提供
(株)世界貿易センタービルディング

 Kはロープメーカーから資料を集め、強度計算を行った結果、直径16ミリのナイロンロープを用いれば、仮に作業員2名が宙吊りになっても切断しないことがわかりました。
 次の課題は、そのロープをどのように鉄骨に張るか、という問題です。簡単に張ることが出来るだけでなく、弛まずにシッカリと張る必要があります。もちろ ん、「親綱緊張器」という便利な道具が生まれたのは、ずっと後のことです。いろいろと試した結果、片側を鉄骨に回し掛けして固定した上で、もう片側を張りながら縛る、という方法をとることになりました。
 ところが当時、16ミリのロープに回し掛けができるフックが世の中にありませんでした。何れの安全帯メーカーのフックも10ミリ程度の安全帯用ロープにしか掛かりません。
 その時Kが目を付けたのが他ならぬ当社のフックでした。他社のものよりわずかに大きい当社のフックの、開閉する爪の先が2ミリほど内側に彎曲しているの に注目し、これを削ったら16ミリロープが通るのではないか、と思ったのです。Kは知り合いの鉄工所にフックを持ち込み、グラインダーで爪の先を削り取り ました。

さあ、16ミリロープが通るか。息を呑んでロープに削ったばかりのフックを掛けると、計ったようにぎりぎりいっぱいで掛かったそうです。 その後、強度試験を行い、爪を削っても問題が無いことが確認され、墜落防止用のロープが完成しました。そしてこの現場で、このロープに「親綱」という名が付けられました。

さて、「親綱」が完成し、Kが現場の鳶職の親方(職長さん)に使い方を教えた所「そんな猿回しみたいな真似が出来るか」とひどく怒られたそうです。それでも建て方が進み、最上階地上152メートルに達する頃、その親方に「親綱があるので、安心して仕事が出来る」と言われました。その時のうれしさを、30年以上経った今でも忘れられないとKは言っています。

親綱緊張器 ST#532

 その後、「親綱」は新宿副都心に続々誕生した超高層ビル建築現場で多数使われました。やがて、予め鉄骨にフックを掛けるための孔が開けられるようにな り、それに大口径のフックを直接掛けるようになりました。またロープをピンと張るために、ロープ緊張器も使われるようになりました。施工会社の労務安全部 により、作業手順も定められ、今では安全確保のために無くてはならない用品(用具)として普及しています。